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御由緒

御由緒

太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、三本松城(津和野城)の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、明治の版籍奉還に至るまで、藩主亀井家の祈願所として維持され、藩主以外の参拝は禁止されておりましたが、廃藩後は広く一般庶民も参拝できるようになりました。
大正13年には、北白川宮富子大妃殿下が御参拝なされ、宝物の寄進があり、宝物殿を設置し、次いで養老文庫を設けました。
昭和30年代には参拝者の激増に伴い、昭和38年9月に新社殿建設の奉賛会を結成し、昭和42年に境内地西側の山を切り開き社殿地を造成し、昭和44年12月に、新社殿が竣工、御遷宮を斎行しました。
古い社殿は、「元宮」として維持し、御分霊が奉斎してあります。
現在では日本五大稲荷の一社に数えられ、その御神徳は霊験と共に全国に崇敬景仰されております。

日本五大稲荷

伏見稲荷大社
近畿の京都市伏見区
 笠間稲荷神社
関東の茨城県笠間市
 竹駒神社
東北の宮城県岩沼市
祐徳稲荷神社
九州の佐賀県鹿島市
太皷谷稲成神社
中国の島根県津和野町

太皷谷稲成神社という社名について

太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)
太皷谷とは
津和野城の城山の一角であり、江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であることから、この地名がつけられました。また津和野城の東北、つまり鬼門に位置し、古来より神聖な地であったといわれております。
稲成神社とは
当社では、稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。
宗教法人 太鼓谷稲成神社
〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
TEL.0856-72-0219
FAX.0856-72-3105
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